俳句の思い出
今日もスマホからです。
今日もスマホからです。
暑いですね。
梅雨だというのに、空は真っ青。30℃越え。ダムの水量は大丈夫なのでしょうか?
TVで、フィギュアスケーターの去年の「Love on The Floor」が放映されていて、ようやく大ちゃんのダンスが観られました。スケートを履いている大ちゃんも良いですが、靴を履いている大ちゃんのダンスも魅力的です。いやあ、彼のダンスは魅せられます。
ということで、大ちゃんを観ながら、想い出話。
私世代はもちろんディスコダンスでしたといっても、日本のディスコは知りませんが・・・。
中学からカナダでしたから、これからの話は全てカナダのトロントでのお話です。
向こうの学校は、学校でダンスパーティをやってくれるんです。日本では考えられなかったので、初めて行った時はビックリの連続でした。それにどう踊って良いものかもわからず、それなのに行っちゃったという少々後悔が。でもね、ちゃんと教えてくれるんですよね。ビートに合わせて足を左右に動かして・・・、腕をこんな風に振り振りして・・・ほ~ら踊れた、みたいに。えっこれだけ???
体育館は真っ暗でガンガンに音楽が流れています。ものすごい音量なので、たまにスローが流れるとホッとしましたね。それでも耳が疲れると、お教室や校庭に避難。それがまた楽しい時間でもありましたが。
定期的にお巡りさんが懐中電灯を持って見回りをしているのもさすがです。
学校でのパーティなので、両親も許してくれましたが、帰りは父のお迎え付き
高校時代の夏休みに参加したキャンプでも、もちろんダンスパーティがありました。
ヨットキャンプの時は少人数でしたし、楽しかったなあ。喋って笑って踊って、外で涼んでから、またしゃべって笑って踊って・・・。
そういえば、キャンプファイアーを炊いた時もその周りで踊りましたっけ。踊りすぎて湖に落ちた人がいましたよ笑い過ぎて・・・楽しかったぁ・・・
解散の前夜のパーティは、終了時間の延長延長で、結局朝まで。涙涙・・・。
女子だけのキャンプだと、ちゃんと近くに男子キャンプがあり、合流パーティがあるんです。
ようするに、ダンスパーティって、何が何でもやるんですね。
大学時代から参加した音楽キャンプでも毎週金曜日だったと思いますが、体育館でディスコダンスパーティがありました。やっぱりありました
大学では、あまり行かなかったなあ・・・。
レポートだ、練習だ、試験だ、リサイタルだ・・・、と音楽仲間と顔を合わせるとその話になるので、楽しさを求めるのなら、キャンパスの外へ、という感じでした。なので、ダンスよりはジャズバーやピアノバーに行っていました。
それに、大学ともなると、ダンスよりも飲む方が主になるので、それなら大学内で無くてもねえ。
一度、数学のクラスで知り合った体育部の人に、パーティに誘われ、友人と行ったんです。それが、男女とも筋肉隆々で、それも見せびらかしているようなところがあって、なんとな~~くそれから見たらひ弱な人間に囲まれている我々は毒に当てられた感があって、早々に退出してきました~
9・10年生徒通った私立校では、Father &Daughter(父と娘)のためのダンスパーティがありました。
父はタキシード、娘はロングドレス着用で、フルコースの食事をした後にダンスとなります。
もちろんワルツやスローが主流なので、父と猛特訓。父は他のお嬢様方を誘わなくてはならないし、私も他のお父様方とも踊りますからね。
でも、楽しかったし、良い思い出となりました
その私立校に通っていた時に、数ブロック離れたところにある男子校のソーシャルクラブに誘われ入りました。といっても、日本人ですので正規には入れず、お客様扱いでしたが。
英国系の社会ってそんなものです・・・。
食事のマナーや、立ち振る舞い、そしてダンスと一通り習わされます。
クリスマスパーティと学期末(6月)の2回パーティが催されます。学期末のパーティには、男子からドレス一式が贈られ、男子のエスコートでパーティへ。1回目の参加の時は、皆さま真っ白のドレスを着るんですが、私はお客様扱いなので淡いピンクのドレスでした。
その私立校には2年しか行かなかったのですが、パーティには12年生まで参加させて貰いました。最終年度のときは、ロイアルブルーのドレスで、それは大学のリサイタルの時にも来ました。
後は高校と大学のプロムでのダンス。
でも、ここではダンスがメインでは無く、もう友人たちとひっちゃかめっちゃか楽しむのがメインイベントなので、ダンスの思い出はちょこっとだけ。
こうして書いてみると、海外の生活ってダンスが身近にありました。
ダンスホールのあるレストランや、ホテルのレストランにもダンスホールがあったりして、気楽にダンスが出来るようになっています。
日本に帰って来てからはダンスパーティなんて1回だけ。それもカナダ人主催のパーティでした。
ものすごく下手なダンスでしたが、楽しかったですよ。
さすがにワルツの方は緊張しっぱなしでしたが、ディスコは気楽で楽しかったなあ。
夜通し踊ると、数キロ減量してますからね。
大ちゃんの番組、もうすぐ終わります。踊っている時の大ちゃん、良い顔しています。
6月16日明月院(北鎌倉)
今日は暑いです。
空気もだんだん湿気を含んで身体にまとわりつくようになってきました。
暑さはどんなに暑くても良いのですが、湿気は苦手です。
先日、小学校時代の友人とランチに行った時の話です。
どこかへ旅行でも行きたいわねえ、ということから、
どこへ行きたい?と。
私は、自然の中。
まだ、カナダにいた時に友人たちと行ったカヌートリップが楽しかった。
私の車に数日分の食料と飲み物、料理器具、寝袋などなどを詰め込んで、トロントから北の国立公園まで行き、そこで、カヌーを借りて、更に薪を買い込んで、出発です。
川を上って行くと、ビーバーダムにぶつかり、
そこは、まずはダムに上がって、カヌーを反対側によいしょっと持ち上げねばならず結構大変でしたが、漕ぎ始めたら長い枝を加えたビーバーが帰ってくるのが見られ、ラッキーでした。
とにかく漕いで漕いで、良さそうなキャンプ場を見つけて陸の上へ。
テントを張り、夕食を。
夜になると月が無かったため、満天の星。天の川もくっきりと見え、見事な天体ショーでした。ルーンという夜鳴き鳥の声を聞きつつ、星を見るのは実に現実離れしたものです。
夜中に寝ていたら、友人がアライグマに引っかかれたとちょっとした騒ぎがあり、朝起きるとキャンプファイアーの辺りは荒らされていましたが、食料は木からぶら下げていたので無事でした。
雨でしたが、移動することに。途中遠くでゴロゴロ鳴りだし、これは絶対危ないから陸へ上がろうと岸辺へ。上がったとたん、近くの木に落ち、その衝撃が足にビリビリ来たのにはビックリしました。雷の怖さを知ったのもこの時でした。
雨の中、友人が上手にテントの入口に屋根を付けてくれ、その下で、まあちょっと快適とは言えないけれど、でも、トコトン楽しい夜を過ごしました。
雨のせいか、アライグマのちょっかいも無く、翌日は朝もやが美しい朝でした。
帰りのカヌーの中で、テレビも電話も無い生活はたまには良いわね、ということに。電話は欲しいという友達もいたけれど、私は要らない派の方。テレビが欲しいという友人は居ませんでした。
2017年の今ならば、テレビもスマホも無い所が良いかな。
でも、日本のどこに行ってもスマホは通じてしまうのかしら・・・?
とにかく数日機械音の無い所へ行きたいなあ。
暑いですね。熱中症などにくれぐれも気を付けてお過ごしください。
西日本は台風で荒れ模様。。。何事も無く過ぎてくれることを祈っています。
関東はまだ時々日射しがあります。でも、ものすごく湿度が高い。
気圧のせいか、少々頭痛が。耳鳴りもしています。
さて、一昨日、ヤマハに楽譜を買いに行ったら、
店頭にこんな本を見つけました。
目を引くタイトルですよねパラパラと中を見て、買ってしまいました。
まだ、20ページほどしか読んでいないのですが、これは今習っている生徒さんもですが、まだピアノを始めていないお子さんや親御さんに薦めたい本です。
ピアノを習うお子さんが増えているそうです。嬉しいことです。
こちらも勉強をして、良い先生にならねば!!
話は変わりますが、
9月30日は、私の恩師Ronald Turiniの誕生日でした。
あれから30年、先生もかなりの歳になってしまいました。というか、私があの頃の先生の年になってしまいました。
アハハ・・・と苦笑そっかあ、あの頃の先生と同じ年かあ・・・。
複雑なものですよねえ。
とにかく車が好きで、ピアノの話題以外は車の話を良くしていました。車を新しくする度に、子供のようにはしゃいでいましたしね。楽しかったです。
日本食が好きで、町にその当時唯一あった日本レストランにちょくちょく行きました。大学卒業する頃、もう一軒出来、先生も大喜び。卒業してからもレッスンを受けに行くと、そのお店に食べに行こうよ、と言うほど。
ピアノは天才型なのに、人柄は・・・。気が弱い!!自分のリサイタルなんていうと一月前から精神的に不安定になってしまうし、室内楽で他の共演者がいても楽屋でウロウロしているし、嫌なことを頼まれても断れなくてウジウジしてしまうし・・・。
でも、たくさんのことを教えていただきました。
楽しいことも、辛いことも、嬉しいことも、厳しいことも。寝ても覚めても音楽ばかりの生活でしたが、今思えば充実していました。
先生には8年教えていただきました。先生から卒業してまもなく結婚のため日本へ戻ってきました。やはり頃合いだったのでしょうか・・・。
しばし気持ちはカナダへ。。。
すみませんm(__)m
あれから、ビデオ作製で悪戦苦闘したり、次男の学校の行事などでバタバタしていて、ブログをほったらかしにしていました。
ようやく次男も冬休み、生徒さんのほとんどが先週で今年のレッスンを終えました。
そんなんで、今日はボケ~~っと気が抜けております。
・・・と、急に聴きたくなった曲が浮かんで、夕方頃から流し続けています。
それが、「カサブランカ」の「As Time Goes By」。YTから拝借。
https://www.youtube.com/watch?v=2RomMlPHGqU
ちょっとした思い入れのある曲でして・・・今日は、思い出話・・・
カナダの大学の近くにジャズバーとピアノバーが隣接しているところがありました。
ピアノバーに行くと、1曲弾くと1杯タダにしてくれるので(ちなみに音楽科の生徒は1人1曲のみなのですが)、たま~~に行っていました。
ジャズバーでは、毎週金曜日は、サックス奏者が来ていて、いわゆるイケメンだったので、女の子同士だけで行っていました。
そして、他にもピアノやアンサンブル演奏などもあって、ちょっとクラシックから離れたいときはとっても楽しめる場所だったんです。
あるとき、ピアノ演奏で「As Time Goes By」が流れたんです。有名な映画なので曲は知っていましたが、そんなにジャズに興味があったわけではないし、まあメロディは知っているかな、程度。
それが、その時、何に惹かれたのか、ボ~~っとするぐらい聴き入っていたんです。リクエストタイムの時には、もう一度お願いしたほどでした。
翌日、大学の音楽図書室でレコードを引っ張り出してきて、聴いたのですが、数分で終わってしまうのがじれったくて、なんとなくイライラ・・・。永遠に演奏が続けば良いのになあ、なんて・・・。
その年のクリスマスに、作曲科の友人がプレゼントとして、この曲を演奏して60分テープに録音したのをくれたんです。
60分、ほとんど演奏しっぱなし。アドリブですので、時々変な所に転調しちゃったり、突っかかって「Sorry」なんていう声も入っています。
でもね、嬉しかったですその日から、ウオークマンには、そのテープが入っていましたし、運転中は車のテープレコーダーにかかっていました。
学生の頃は、お金もありませんでしたしね。それでも、私は恵まれている方で(日本人で良かったなあと思いました。向こうでは大学生になったら親の支援を切られる人が少なくありませんから)両親からの支援がありました。でも、食費とガソリンと教材でほぼ使い切ってしまうので、お小遣いはほぼゼロ状態。
勉強とピアノがあると、せいぜい働くといっても、数人の生徒さんと、大学で伴奏の仕事をちょこっとする程度。夏休みもバイトどころではないし。
ほんと、いっつもお金無い~~、と友人たちと愚痴ってましたそれでも、友人たちとお金のかからないプレゼント交換は楽しかったです
話を戻します。
このテープ、まだ残っていますが、相当すり減っているので、聴こうかなあと思うのですが、切れちゃうのが怖くてかけられません。
それでも、いっかあ、と思っています。
懐かしい想い出として、耳の中に残っていますから。
そんなことを思い出しながら、家族が帰ってくるまでボ~~っと過ごしていました。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
6手連弾はすでに紹介しました。
まだ、紹介していなかった第3部から、今日は女性組です。
外国の曲 「マーチ」
コンコーネ 「15の対話的練習曲」No.15
ドボルザーク 「スラブ舞曲」Op.46-2
バイオリンを習っているお兄さまとバッハ「メヌエット」
昨日まであんなに蒸し暑かったのに、昨日の夕方から降り出した雨のおかげで、
今日は肌寒いほど。10月上旬の気温だとか。
今日の予定がぽっかり空いたので、昨日、ダメもとでチケット売り場にお電話をしたら、
チケットが取れた。
川崎ミューザで、堤剛先生のリサイタルだ。
日本に帰って以来、2度ほど聴きに行ったのだが、この数年日にちが合わなかったりで、行っていなかった。
堤先生とは、高校最後の年に、友人と何気なく行ったWestern Ontario大学のオープンスクールで、先生の方からお声をかけてくださった。
そして、私の恩師Ronald Turiniを紹介してくださったのだ。
あの時、先生にお声をかけていただかなかったら、Mr.Turiniに会うことは無かったかもしれない。
そうしたら、これだけの音楽への情熱も知らなかったかもしれない。
JISAという音楽夏期講習へ参加することも無かったかもしれない。
いろいろな先生に付いて転々としていたかもしれない。
今では、サントリーホールの館長であり、世界のチェリストですが、私にとっては、本当に身近な懐かしい存在の方です。
演奏会は、先生のトークから始まりました。
昔と変わらない、優しい雰囲気のトークでした。
音色も柔らかく、先生のお人柄そのもの。癒されます。
演奏の後はサイン会がありました。持って行った花束と共に、
購入したCDにサインしていただきました。
その際「U. of Western OntarioでMr.Turiniに付いていた○○です」と名乗ったら、「おお、お久しぶりですね」と顔をあげてくださいました。
6月にUWOで演奏会をしたこと。今、音楽部の建物を建て替えていること。
など、お話してくださいました。
「ぜひ、行ってみてください。変わりますよ。」とのこと。やはり、一度トロントへ行かなくては。(大学はトロントから200㎞ほど離れたところにあるロンドンという町にある)
これは、バッハの無伴奏組曲
このCDは、私の先生Ronald Turini氏と堤先生とが1980年に日本で演奏会をしたときのもの。
すでに持っているのだが、今日これが販売されているのを見て、嬉しくて思わず買ってしまった。
でも、堤先生にサインしていただいて、心はバラ色。
いつまでもお元気で、ご活躍していただきたいと思います。
中学1年でカナダのトロントへ行くまでは、普通に日本でピアノを習っていた。
そうねえ・・・嫌いでもなく、好きでもなく・・・。
母に怒られながら練習するのは嫌だった。だからといって、辞めたいとも思わなかった。
なんだか、日常の中にピアノが入っていたから、練習するのが当たり前だった。発表会も特別でもなかった。ただ、与えられた曲を練習し、会で弾く。そんな感じだった。
日本にずっと居たら、それで終わっていたかもしれない。そして、そのうち辞めていたかもしれない。
トロントへ行き、トロント王立音楽院では上位の方の先生を紹介していただき、面接の後、入門が決まった。そこで、まだほとんど英語なんか喋れない生徒に、弾いて教えて下さった。
グレードの試験を受けるために、日本では全くやっていなかった、スケールやアルペジオ・コード等のテクニックをみっちりやり、聴音や初見などの準備も全てその先生が教えて下さった。
音名だって、「ドレミ・・・」か日本名か若干のドイツ名しかわからない。それを英名から教える。
グレード1からグレード10(その上にARCTというのがある)まである中で、グレード9を受けようとしているのだから、テクニックもかなりの高度まで進んでいる。英語という壁がありながら、良く教えてくださったものだ。
そして、何よりもビックリしたのが、曲そのもののレッスン。
フレーズごとに歌ったり弾いたりして教えてくれる。隣のピアノに座って、一緒に弾いたり、止めては弾いたり。言葉でも言っていたと思うのだが、全く覚えていない。
しかし、その先生に、初めて「音色」というものを教わり、曲想というものを知った。そして、歴史というものが重要で、作曲者というものを意識したのも初めてだった。
以前、どこかで書いたと思うが、「さくらさくら幻想曲」を演奏することになり、見ていただいたときだった。日本で一度やっていた曲である。しかし、その先生が弾いてくださった「さくらさくら」は、実に色彩豊かな、風にハラハラと舞う「さくら」だった。衝撃的だった。
これが音楽かあ!!と、ある意味ショックだった。
それから、だと思う。
私の音楽が変わったのは。考えるようになった。感じるようになった。
そして、グレード9の試験。演奏の方は、とても高得点で合格。それも、色彩が求められるドビッシーやベートーベンのソナタの第2楽章が高得点だった。
これには、先生もとても喜んでくださった。
その後、グレード10を取り、そして、ロシア系の女の先生に変わった。
フランス系の先生とは、かなり曲想や弾き方も違っていたが、いろいろなことを教わった。
初めて服装についてのアドバイスもあった。見かけは大事だから、筋肉隆々は見せてはダメ。だから、優雅な長袖にしなさいと。
その上、音楽の盛んな高校Oakwood Collegiate Institute以前書いている)での、オーケストラとの共演や、室内楽の体験で、音楽の楽しさを味わっていたので、更に弾くことも楽しかった。
そして、大学でのMr.Turiniとの出会い。しかし、その先生の前に付いたDr.Bratuzにコテンパンに身体の動きを封じ込められた苦痛の1年(http://mikipiano53.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-608c.html)を経て、ようやくMr.Turiniに付いたとき、単なる音色だけではなく、身体の動きと呼吸が音色を作り上げることを教わった。
そして、演奏家はパフォーマーであること。聴いている人は目からも耳からも音楽を聴いている。だから、上品でなければならない。優美でなければならない。労働であってはならない。
今の自分に品格は備わっているだろうか?
聴く人に、優美に見えているだろうか?
身体の小さい私が弾いて、きつそうには見えないだろうか?
そんなことを思いながら、ピアノに向かっている。
何の花かなあ・・・
2年目だが、たくさん花を付けた。でも、こんなにも暑いと、ちょっとこの赤は暑苦しい・・・ごめんね。
10日ほど前の暖かい夜、窓を開けていたら、鳥の鳴き声が聞こえてきました。
時計を見ると11時半過ぎ。それから毎晩気を付けていると、やっぱり真っ暗な中、その鳴き声が聞こえてきます。
そういえば、毎年この時期聞こえていたかも・・・と、急に気になり、PCで調べてみたら、簡単に見つかりました。
そうなんです。ホトトギスなんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=2F_KfMB5lOs
YTから拝借。
画像はgoogleから。姿は、意外と可愛い顔をしているんですね。
そういえば、逗子の海岸には「不如帰の碑」があります。
徳冨蘆花の小説「不如帰」の舞台として有名になり、「浪子不動」と呼ばれるようになった高養寺の前の海に立っています。碑の下には蘆花が用いた筆と硯がおさめられているそうです。
「不如帰」というと、なんとなくイメージが良くありません。
カッコウと同じで、托卵するとか。それもあんなに良い声で私たちを魅了しているウグイスに托卵するらしい。
鳴き声も独特だし。
大昔から詠われてもきました。そんなこんなで、あまり身近な鳥というイメージがありませんでした。
う~~ん、でも毎晩、確かに聞こえてくるのはホトトギスの鳴き声。
身近な鳥だったんですね。
夜鳴く鳥としては、カナダに居た頃、ルーンという鳥がいました。
ずっと前にちょっとだけ紹介しましたが、
http://mikipiano53.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/milky-way-2b44.html
大好きな鳴き声でした。
真っ暗な森の中で甲高い声を聞くと、現実を忘れます。
YTで見つけましたので、聞いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=Hnlze_cIYZs
どうして真っ暗闇の中で鳴くのでしょう。
何かを求めているのでしょうか?
ホトトギスはいつまで鳴くのかしら?もう卵は孵ったのでしょうか。
魅惑
ダブルデライト
このところずっと音楽関係の記事ばかりだったので、久しぶりにまたトロントのことでも書こうかなと考えているのだが・・・さて、何を書こう・・・
日本海側ではすでに雪がかなり積もっている。
トロントという場所は、北海道と同じ緯度。9月末にはメイプルの紅葉が見頃となり、同時に初雪も降った。もちろんホワイトクリスマスだったが、最近はホワイトクリスマスにならない年もあるようだ。
googleより
Oakwood Collegiate Instituteに通っていた頃、地下鉄とこのStreet Carに乗っていた。
1・2両編成の路面電車だ。この赤色も好きだったし、窓が大きかったのも好きだった。
どんなに車が大雪で渋滞になっていても、Street Carは専用の線路を走っているので、ストップすることはほとんど無く、優秀な乗り物だ。
でも1度だけ、何かの理由で全車両がショートして止まってしまい、しばらく待っていたのだが、復旧の見込みなしということで降ろされた。外は雪。完全装備(分厚いブーツ・分厚いコート、マフラー、手袋、毛糸の帽子、耳マフ)をしていても寒い。
それでも歩くしかないのだから、友達やほかの乗客と歩く。どんどん降り積もる雪の中を歩いた。ようやく地下鉄の入口に着いた時には、すっかり真っ暗。全身は真っ白。友達とお互いの雪を振り落として地下鉄のホームへ下りた時には、全身から湯気がたっていた。
雪国の思い出の一つでした。
ようやく夏休みが終わり、家の中も静かになりました。
家の中がさっぱりしたような・・・
次男が冬頃からシェークスピアに興味を持ち始めた。
きっかけはどうもアニメらしいのだが、私の本棚に何冊かシェークスピアがあるのを見て読みたいと言い出した。
「オセロ」を選んで、読み始めた。
きっとギブアップ宣言してくるだろうなあ・・・なんて思っていたら読破した。でも、感想は「ムズイ」「暗い」「気がめいる」
次は、「マクベス」をチョイス。さすがに途中で「重い」と言ってギブアップした。そして、PCであらすじを読んで満足してしまった。
これで終わりかと思ったら、「リア王」を手にした。3ヶ月かけて読み終えた。オオ!!偉いじゃないと褒めたら、感想を長々と述べはじめた。へええ、いろいろ思いながら、ちゃんと読んでいるんだと、ちょっと感心した。
さて、現在「ハムレット」を持ち歩いている。どのくらいで読み終えるのかな?
それにしても、どうしてこうもシェークスピアにはまっっているんだろう。シェークスピアの国、イギリスへ行ってみたいらしい。
私の話し・・・
トロントへ移住して2年目、プライベートスクール(Bishop Strachan School)に通ったが、そこでは、Englishクラスでシェークスピアを学ぶ。
http://mikipiano53.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5dd2.html#trackback(以前のブログより)
1年目は「ベニスの商人」だった。普通の英語も出来ないのにシェークスピアはチンプンカンプン・・・日本語で読んでから、どうにかこうにか英語文を読解する。
まあ、悲劇では無い分、ちょっとは理解しやすかった。
しかし、9年生(中学3年生)ともなると、試験は小論文形式。5問ぐらいをひたすら書かなくてはならない。それも、自分の意見なども織り込んだものを述べていく。
泣きたくなる時間だった。
2年目は、「マクベス」。次男ではないが、重くて深い!!
英語の授業を出来る限り聞いて、家に帰ってから日本語で復習。日本語で理解したものを英語にする。そんな作業の繰り返し。泣きたいなんていうレベルでは無い!!
必死!!あきらめ!!あがく!!そんな感じ。
でも、試験が終われば、結構面白かったと思えた作品だった。
トロントから約2時間ほどのところにStratford(ストラットフォード)という町がある。
とにかくカナダにはイギリスと同じ地名がいっぱいある。私の大学町はLondon。
Hamilton,Cambridge,Kitchener、Waterlooなどなど。Toronto周辺だけでもざっとこれだけある。
右の黒がトロント。我が家はNorth Yorkと書いてあるところ。
緑は私の大学があるロンドン。
赤がストラットフォード。
Stratfordでは、シェークスピアの劇をやる小屋が建っている。うろ覚えだが、多数あったはず。私がいた頃は「小屋」だった。結構古そうだったから、今は立派な劇場になっているかもしれない。
毎夏、フェスティバルがあって、複数の劇が公演される。
ちょっとドライブがてら、フラッと行き、公演日程を見て、その小屋へ行ってチケットを求め、観劇となる。
「真夏の夜の夢」「ロミオとジュリエット」「ハムレット」は記憶にあるのだが、後何を見たかなあ・・・
母は、観劇の後は、アンティックショップに行くのを楽しみにしていた
Googleより拝借
さて、次男・・・「ハムレット」はどんな感想を持つのかな?
次男の学校
今日はピアノの調律を
アメリカ生まれだからか湿気に弱い
6月頃からすでに狂い始めていたが、今まで我慢。もうちょっと湿気が無くなるまで我慢したかったがもう限界
鍵盤の部分を出すとこんな感じ
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
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