私の誕生日




3月の次男の卒業式からバッタバタの毎日を送っております。
中学1年から寮生活を送っていた次男。12月初めに家へ戻ってきました。
3月1日、その高校生活にピリオド。
最後のお努めとして、卒業式で答辞を読みました。上手に読めるか少々緊張しながら聞いていましたが、寮での体験談を聞いたときは少々こみあげてくるものが。中1からずっと寮でご一緒だったお母様のすすり泣きも聞こえてきていました。
それから一月は、家の中の移動で大騒ぎ。
次男がほとんど居なかったため、息子2人は同じ部屋のまま。長男が2階に引っ越すことになり、あんな小さな子供部屋なのに、大移動並みの大変さ。20年近く溜まっていたものの整理から始まり。何と言ってもほんの量が膨大な長男。500冊近く処分しましたが、それでも何箱もの本が残っています。いまだに廊下に積まれています(-.-)
そして、4月、次男の入学式。
入学式もお天気に恵まれ、三浦半島は桜はまだまだでしたが、東京では綺麗な桜も見られ、素敵な1日となりました。
すでにSNSでお仲間も出来ていて、お式で一人ぼっちになることは無いんですね。
大学生活を満喫しています。勉強もしてよ~~、と言いたくなるほど・・・。
さて、これで落ち着くかと思いきや、長男がシェアハウスに入居することになり、またまた大わらわ(^_^;)
授業の始まる3日前に急に決まり、前日に簡単なお引っ越し。せっかく家の中とはいえ移動したのに、またもや移動。ようやくこのGW中に、2階の長男用の部屋を元通りにし、家に残していく長男の荷物を置くために、私の部屋や納戸の整理をし、なんとか目処がつきました。とはいえ、まだ兄の本類は廊下に残っているし、まだまだきれいさっぱりとはいきません・・・(*_*;
シェアハウスの自分の城(^.^)
この際なので、この家に引っ越して以来の荷物を少しづつ整理しています。主人や私のものもかなり膨らんでしまっているし、子供たちのは幼稚園時代からのものもかなり残っているので、捨てたり売ったり貰っていただいたりとちょっとづつですが物が減っています。ちょっぴり嬉しくなりますね。
と、こんな春を過ごしていました。
明日は、ピアノ教室のことを書きます。
今年高3の次男。
一つずつ、高校の行事が終わって行きます。親としては、少々淋しい気持ちで今年度を送っています。高校までですものね、親が関わっていられるのも。
5月28日、体育祭がありました。去年は生徒会長をやっていたので、忙し過ぎてほとんど覚えていないそうです今年は、余裕で楽しむぞ、と言っていました。
さて、前日は雨でしたが、当日は曇り。ちょうど良いお天気です。
家を7時に出発して学校へ。息子は寮生活なので、お弁当の心配は無し。でも飲み物が足りないのと、暑さ対策までは出来ないので、大量の麦茶や凍った飲み物やゼリーや冷た~~いお絞りなどを準備していきます
案の定、到着まもなく次男が、飲み物もうすぐ無くなっちゃうからよろしく、と言いに来ました。
中1の時からご一緒のお母様方と合流しての観戦。観戦しながら、中学で入学した頃の思い出話や、これからの受験の話など、おしゃべりも尽きません。
息子たちは、前もって参加する競技を決めておきます。我が次男は、走ることが好きなので、走る要素のある競技にしか参加しません。でも、今年は珍しく綱引きにも参加していたので、おそらくお友達に誘われたのでしょう。
昼食は、生徒たちはお教室でお弁当が配られます。そこで食べる子、親のところに来て食べる子、とまちまちですが、次男は6年間親のところに来て一緒に食べました。
いつも親が来ていない友人も一緒に連れてきて食べます。息子たちの会話が結構面白くて、楽しい時間ですね。用意していったおやつも回して子供たちはお腹いっぱいに
体育祭のフィナーレはリレー
中1からずっと出ていたのですが、今年はタイムを抜かされたと出場できないはずだったのですが、選手の一人が怪我で出られなくなり、繰り上がりで出場が決まりました。怪我した子には申し訳ないけれど、もう一度、走る姿が見られて嬉しかったです。
同級生のお母様がお写真を撮ってくださいました。ものすごく良いショットに感謝です。
次の子が陸上部。なんとしてでも抜きたい!!
う~~ん!!抜きたい!!
追いつけそうで追いつけない!!残り半分更にダッシュ!!
抜けない!!
でも最後の最後まで力抜かないぞ!!
・・・
抜くことは叶わなかったけれど、ほぼ同時にバトンタッチ。
それも、待ち時間にバトン渡しを念入りに練習したのが成功して、スムーズに手渡すことが出来、陸上部の彼はあっという間に差を付けていきました。その後はそのまま1位を保ち、白組が勝ちました。
楽しかったぁ。最後に良い走りが見られて本当に良かったです。
この猛ダッシュは、もう見ること無いかなあ・・・。
やっぱり淋しいな。
綱引きのを1枚
あっという間にGWも過ぎてしまいました。
皆さま、お元気でしょうか?
自分の大学時代の思い出話を4月初め頃まで書いていました。
書くことによって、いろいろなことが思い出され楽しかったです。
長男が3月に運転免許合宿に参加。
次男が春休みに短期ホームステイでカナダのバンクーバーへ。
ピアノ教室の新学期は、4人の新しい生徒さんを迎えてのスタート。始まったとたんに風邪をひいてしまったりと、ちょっとバタバタしたスタートとなってしまいました。
長男から
ブックカバーには手帳を挟むことに。デニムでポケットまで付いていて可愛い
次男からは寮から「おめでとう」メールが入りました。
さて、生徒さんたちのために「お便り」というものを作ってみることにしました。
自分の名前が載るのを楽しみにしている生徒さんが結構いて、お誕生日以外にどうしたら名前が載るのか聞いてきます。こうなったら何か名目を作って名前載せてあげたくなりますね。
5月は遠足・運動会・バザーといろいろな行事があります。
お天気も不安定ですし、体調を崩しやすいですね。
ようやくGWも終わりましたし、少しゆっくりと過ごしたいなと思います。
子供の日ですね。
左が長男の、右が次男のです。
左の兜を購入するときは、まだ両親はアメリカにいたので、主人と幼い息子とで人形町まで買いに行きました。数件見て歩き、ようやく2件に絞り、何回か見比べてこれに決めました。
右の金太郎は、母と私とで人形町に買いに行きました。残念ながら、もう父は他界していましたので、母から一緒に行ってと頼まれたのです。
二つ兜を買うのもなんだから、違うものにしようとの母の提案。
生まれた時、口を真一文字に閉じていた子でしたので、母がこれが良いと決まりました。
今年は屋根裏から二人で出してきました。
さすがに鯉のぼりは良いよねえ・・・と意見一致。
「ホントはねえ・・・お雛様も欲しかったなあ・・・」
と言ったら、
長男:「あれええ、息子の方が育児楽しかったと思うよ~。」
「いやあ、2匹の宇宙人相手で大変だったわよ」と返すと
次男:「飽きなかったでしょう?これからも飽きない人生が待ってるよ~」
「いえいえ、平凡な人生をよろしく~~」
全国の子供たちの健康と幸せを祈ってます。
うらら
宴
お久しぶりです。
何も告げずに、長期お休みしてしまい、申し訳ありませんでした。
長男が大学受験でした。ネットが大好きな長男ですから、1月に入ったら一切のPC使用は無し、と約束したので、私自身も入学が決まるまではPCを見ないと宣言(>_<)
新年の挨拶と共に、お休み宣言もするつもりでいましたら、なんと!!新年早々熱を出してしまい、インフルエンザではなかったのですが、センター間近でもあったので、1週間隔離されてしまいました(-.-) 治った時には、PCはどこへやら~~。
というわけで、いきなりの離脱で申し訳ありませんでしたm(__)m
無事、入学式も終え、楽しく通っています♩
幼稚園の頃から、やりたいことにブレの無い長男。ということは、受ける学校も部もおのずと決まってしまい、少々視野の狭さ、頑固さに辟易状態。
1番の本命は×。そのため、最後の最後まで悩み迷って選んだ学校でした。それでも、行き始めたら、ルンルンで通っています
私はカナダの大学でしたが、入学式って全く覚えが無いんです。なかったような気がしますが、どのようにして、大学生活を始めたのかも良く覚えていません
長男の入学式では、生のオーケストラの演奏があって楽しんでしまいました。
サークルも決まりつつあるらしく、新しい人間関係も出来つつあるみたいですね。
結局、大学も女子が少なく、それが唯一の心配。大学はせめて女子いっぱいの所だったら良かったのに。・・・と親ごころ?
これから4年。楽しく充実した学校生活を過ごしてほしいと思います。
私が一番楽しかった学生時代は高校生のときでしたが、一番充実していたのは大学生時代でした。ピアノ・勉強・遊び・・・24時間しかなかったのに、良くやっていたものです。
一番体力もあるとき、精一杯やりたいことをやってほしいですね。
私は、新年になり、3人新しく生徒さんが増えました。
長いことお待ちいただいた方もいました。ありがとうございました。
4月から新スケジュールのもと、頑張っています。
コーラスの方も、頑張っています。小さいコーラスの方も、公開レッスンで歌ってみたり、秋の合唱祭に向けて、さらに研鑽を積んでいます。
さらに秋には、2年前のヴェルディの「レクイエム」に続き、今回はモーツアルトの「レクイエム」を東京カテドラル教会でやります。
次男は、高2になり、生徒会長になりました。入学式でのご挨拶が初仕事。見に来ないでね、と強く言われたので、家でエールを送っていました。
寮の運営委員長も引き受けたようで、勉強は大丈夫?と心配しています。
家族それぞれ、新年度を迎え、わが道を進んでいます
生活リズムが変わり、気候も不順なせいか、身体が悲鳴を上げています。もう少し余裕が持てるようにしないといけませんね。
こちらも、またバンバン更新していきたいと思います。
皆様、またよろしくお願いいたしますm(_ _)m
皆様のところへも、遊びに行かせていただきま~~す。
9月も半分過ぎてしまった。
全く駆け足で日が過ぎて行く。
次男も2学期が始まって、2週間が経った。2学期から留学生が増えた。日本の大学を受けるため、高校から日本の学校で学び、日本語をマスターするそうだ。
中学からほぼ変わらぬメンバーでやってきたので、留学生がたくさん加わることで、雰囲気等が変わってしまうことが嫌だそうだ。それでなくても、新しいことや環境に対して不安を持ち、抵抗する子だ。
この2週間、あまり学校のことは話さないので、葛藤中なのかもしれない。今のところ、自分で気持ちを処理しようとしているのだろう。なので、そっとしておく。
ロスアンジェルスへ行った時のこと。
初日のUniversal Studiosや2日目のショッピングモールで、たくさんの人を見た。もちろん若い子たちも大勢いた。
その人たちを見て、自由に生きていることにビックリした。そんな自由な生き方を見て、次男は「日本人で良かったかも。日本人の生き方の方が楽だ。」という。
仲間と同じようにしていれば、浮くこともなく、仲間外れになることもない。同じ世代の人たちとある程度同じ生き方をすれば、そんなに線路からはみ出すこともなく脱落することもない。
あまり選択肢は無いけれど、生き方としては楽だ。と言っていた。
しかし、その少ない選択肢の中で、のたうちまわったのは次男自身。小学生6年生の時のことだ。皆と同じように生きるために自分と葛藤したのは次男自身だった。
そのことはどう思っているのだろうか?何も返事は戻ってこなかったけれど。
更に3日目・4日目と過ごした。
5日目、「お母さん、自由に生きる方が良いかも」と言いだした。
「自由に生きる方が選択肢がいっぱいあるってことだよね。その中から決めるのは自分だから、つまりは責任を持って生きるってことでしょ。
左右の人とは全く違う生き方をしていても、何も言われないんだよね。それってすごいことだね」、と。
「でも、他人と違うことをするって相当心が強くないとやっていけないと思うけど」、と言うと、「確かに・・・不安になることもあるだろうね。」
「お母さんはどうだった?」と訊かれた。さて・・・自分はどうだったんだろう。意識はしていなかったけれど、おそらく周りに左右されることはなかったかな。それぞれが自己というものを持って過ごしていたかな。
というか、気にしたこともなかった。大学時代に大勢の日本人学生と接するようになった時、びっくりしたものだ。同じ髪型、同じメイク、同じしゃべり方、ファッションも持ち物まで似ていて、皆同じに見えるんだけど・・・と、ビックリした。
だから、私のティーネージャーの時は、私自身のアイデンティティを持っていたと思うわ。
と、そんな話をしたら、「そっかあ、自分のアイデンティティかあ・・・それが自由な生き方って言えるのかなあ・・・」と考え込んでいた。
日本に帰って来てからは、のほほんと夏休みを過ごしていた。
LAでそんなことを考え込んでいたことなんて忘れてしまったかもしれない。
でも、2学期がはじまり、また自分の世界に戻ったことで、少しでも自分について考えたことを思い出してくれたら良いと思う。
穏やかな3連休となっているが、この間の大雨で被害にあった地域は、復旧作業に追われていることだろう。どうか、一日も早く落ち着けることをお祈りしています。
13日の夕方
終戦記念日でしたね。
戦争を知らない世代です。
母は小学生でしたが、日光でしたので、あまり悲惨な戦争は知りません。
父は大正14年12月生まれ。
中学4年生で士官学校に入学。19歳で部下を引き連れ戦争に向かいました。
千島で終戦を迎え、ソ連の船に本土まで送るといわれながらも、そのままシベリアへ抑留されました。
あまり、戦争の話はしませんでした。
しかし、時々、抑留中の話はしていました。
父は右足が少し短かったです。
抑留されたその年の冬、木の伐採中に倒れてきた木の枝に足を打たれ、複雑骨折しました。ひどい病院だったそうですが、3食与えられていたし、ストーブもあったので、捕虜生活よりはましだったと。
少年兵が肺炎で、苦しがっていたので、後ろから抱いて寝たいたが、朝、父の腕の中で命尽きた話(父だって20歳そこそこです)。
部下がロシア人と喧嘩し、身代わりとなって牢屋に入ったこと。そして、切腹未遂をしたこと(痕がありました)
どんなに空腹でも、我が団だけは背筋を伸ばしていようと皆と約束したこと。
ある日、将校だけ行方も告げられずに電車に乗せられた。また奥地に行かされるのだと覚悟していたら、港に着き、更に船に乗り南下し始め、ようやく日本へ帰れるのだと理解できた、と。
日本へ帰国後、大学へ入りなおし、それから就職しました。
家族には、ほとんど戦争の話はしませんでした。
もう少し、私が大人だったら、もっと話を聞いていたかもしれなかったと悔やまれます。
常々、死んだ後は、遺灰を海に撒いてくれと言っていました。
一度だけ、こんなことを言っていました。
たくさんの人がシベリアに埋もれている、と。
きっと父の部下も沢山亡くなったのではないでしょうか。だから、自分だけお墓に入るのは嫌だったのかもしれません。
昭和天皇が崩御されたとき、LAにいましたが、署名しに行っていましたし、帰国した際は皇居にも行っていました。
父が逝って17年。
父世代が築きあげたこの日本を、私たちは、そして子供世代は、大事にしなくてはいけないと思います。
日本は確かに敗戦国。しかし、そこから這い上がってきたこの国を、もっとプライドを持って
他国と接しても良いのではないでしょうか。
8月3日 葉山マリーナからの富士山
8月11日
台風一過の夕空
昨日は、高1の次男の授業参観・保護者総会・クラス保護者会・個人面談があった。
授業参観はもう行かなくて良いかなあ、ともちょっと思ったのだが、
高1になったら、それまで英語とESLだけ一つ下のクラスでやっていたのが、ESLが上のクラスに組み込まれてしまった。
上のクラスはかなりレベルが上。
完全に英語での授業であり、先生の話し方も速くて、到底聞き取れず、何をやっているのかも全くわからなくて、5月半ば頃まで、半泣き状態だった
ところが、すこ~~し聞きとれるようになり、クラスメイトの助けも大いにあり、また先生がとっても魅力的で、ちょっと楽しめるようになってきたという
まあ、そんなこともあって、2時間目のESLから参観しようと7時半に家を出て、学校へ。
ちなみにこの学校7時半始りなのである。早い
ちょうどピッタリESLの授業に間に合った。
先生はケニアからいらした女性。体育祭で中学生のリレーの時、先生チームで走っていたわ、と思いだす。
そのエネルギッシュな感じは授業でも同じ。
なるほど、指示する言葉はテキパキと早い。数秒も無駄にはしませんよ、といった感じに指示が飛ぶ。生徒たちも、どんどん課題をこなしていく。
一つの課題が終わると、はい次。それが終わると、はいまた次・・・といった風に50分のクラスの中でいろいろな分野をやっていく。
息子は・・・というと、だいたいやることのローテンションはわかっているらしく、指示通りのことはやっているようだ。少々、書く課題の時は時間をオーバーしているが、その辺は先生も大目に見てくださっているようだ。
グループになり、単語のゲームをやっている時も、きちんと予習をしているらしく、足を引っ張ることなく参加していて、ホッとした。しかし、出てくる単語、高校生レベルなんてものじゃないわよね?と思ったので、お隣のお母様に聞いたら、多分英検準1級レベルぐらいだと思いますよ。って、やっぱり~~!難しいわけだわ。
朗読の時、一人ひとりがクラスの中を歩き回りながら、声を出して読んでいく。人によって、「もう少しゆっくり歩いて」とか「もう一度、はっきり大きな声で読んで」とか「もう少し早く歩いて」などと注意が入る。
息子は、難しい単語になると立ち止まってしまう。ちゃんと先生がフォローしてくださった。
この歩きながらのリーディングは良いな、と思う。夏休みは家で毎日やらせてみよう。
しかし、絵を見て、「これは必要か?必要ではないか?そして、それはなぜ?」というときは、さすがに下を向きっぱなし。それでも容赦なく先生に当てられて意見を求められる。なぜ?の問いに、しどろもどろの返答。ちょっぴり前の生徒さんが助けてくれる。この時は、先生も辛抱強く最後まで待っていてくださる。
かくして、授業終了。お休み時間に息子に聞いてみた。先生の言っていることどのくらい理解しているの?と。すると6割ぐらいかなあ、って。毎日授業があり、結構同じことを言っているので、その辺りは聞きとれるし理解できるらしい。
しかし、先生の指示の言葉の合間のちょっとした私語は聞きとれてないでしょう?と聞いてみると、へえそんなこと言ってるんだ、と返ってきた。そうよねえ、まだそんな程度よねえ。私がトロントへ行って、初めて向こうの学校へ行った時の状態を考えれば、頑張ってるなあと思う。
この先生にこれから3年間、教えていただいたら、かなりの英語力を身につけられるのではないかしら、と大いに期待してしまう。
息子に紹介して貰って先生にご挨拶。だいぶ慣れてきましたね。最近は努力しているのが分かりますよ、とのお言葉。良かった~~(^.^)
実りの多い授業参観だった。
総会。食堂でお母様方とランチ。クラス会。担任の先生との面談。そして、お母様方数名と近くでお茶会をして帰宅。ちょっぴり長い一日だったが、学校での子供の様子も少しわかり、お母様方との交流も出来楽しかった。
楽しそうで良いなあ
母の日!!
が先日ありました。どうして「こどもの日」の直後なんだろうと毎年思うんですけれどね。
アメリカのMother's Dayにちなんでいるのだろうけれど・・・
息子たちが小さい頃は、「肩たたき券」とか「おそうじ券」とか「お手伝い券」という手作りのものを貰っていました。結構役に立ちましたね(^。^)
特に「肩たたき券」は最初はただの券だったのが、「肩ちょこっと・15分・30分・45分・足15分・30分・全身踏み」などとバージョンアップ。長男が作ると、次男も真似しますので、2倍の券が来るんです(*^^)v 長男のマッサージが意外と小さい頃から上手くて、楽しみでした♪
さて、今年のプレゼントは・・・
長男からはUVカットのスカーフ。
ガーゼのようになっいて、洗濯機でジャバジャバ洗えるのが良い。
もうすぐ次男の体育祭があるので使えるなあ(^。^)
次男からはシュガーポット。
最近コーヒーを飲むことが増えたのでこれにしたとか。
でも、可愛い飴を入れても良いかなあ・・・(^。^)
紫陽花は全員から
右上はフラッシュをたかずに
左のはフラッシュをたいて
フラッシュをたかない方が本物に近い色になるんですね。
でも、フラッシュをたいた方がもっとディーテイルまで写るんですね。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
最近のコメント