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2014年7月16日 (水)

見られる・聴かれる

中学1年でカナダのトロントへ行くまでは、普通に日本でピアノを習っていた。

そうねえ・・・嫌いでもなく、好きでもなく・・・。

母に怒られながら練習するのは嫌だった。だからといって、辞めたいとも思わなかった。

なんだか、日常の中にピアノが入っていたから、練習するのが当たり前だった。発表会も特別でもなかった。ただ、与えられた曲を練習し、会で弾く。そんな感じだった。

日本にずっと居たら、それで終わっていたかもしれない。そして、そのうち辞めていたかもしれない。

 

トロントへ行き、トロント王立音楽院では上位の方の先生を紹介していただき、面接の後、入門が決まった。そこで、まだほとんど英語なんか喋れない生徒に、弾いて教えて下さった。

グレードの試験を受けるために、日本では全くやっていなかった、スケールやアルペジオ・コード等のテクニックをみっちりやり、聴音や初見などの準備も全てその先生が教えて下さった。

音名だって、「ドレミ・・・」か日本名か若干のドイツ名しかわからない。それを英名から教える。

グレード1からグレード10(その上にARCTというのがある)まである中で、グレード9を受けようとしているのだから、テクニックもかなりの高度まで進んでいる。英語という壁がありながら、良く教えてくださったものだ。

 

そして、何よりもビックリしたのが、曲そのもののレッスン。

フレーズごとに歌ったり弾いたりして教えてくれる。隣のピアノに座って、一緒に弾いたり、止めては弾いたり。言葉でも言っていたと思うのだが、全く覚えていない。

しかし、その先生に、初めて「音色」というものを教わり、曲想というものを知った。そして、歴史というものが重要で、作曲者というものを意識したのも初めてだった。

 

以前、どこかで書いたと思うが、「さくらさくら幻想曲」を演奏することになり、見ていただいたときだった。日本で一度やっていた曲である。しかし、その先生が弾いてくださった「さくらさくら」は、実に色彩豊かな、風にハラハラと舞う「さくら」だった。衝撃的だった。

これが音楽かあ!!と、ある意味ショックだった。

 

それから、だと思う。

私の音楽が変わったのは。考えるようになった。感じるようになった。

そして、グレード9の試験。演奏の方は、とても高得点で合格。それも、色彩が求められるドビッシーやベートーベンのソナタの第2楽章が高得点だった。

これには、先生もとても喜んでくださった。

 

その後、グレード10を取り、そして、ロシア系の女の先生に変わった。

フランス系の先生とは、かなり曲想や弾き方も違っていたが、いろいろなことを教わった。

初めて服装についてのアドバイスもあった。見かけは大事だから、筋肉隆々は見せてはダメ。だから、優雅な長袖にしなさいと。

その上、音楽の盛んな高校Oakwood Collegiate Institute以前書いている)での、オーケストラとの共演や、室内楽の体験で、音楽の楽しさを味わっていたので、更に弾くことも楽しかった。

 

そして、大学でのMr.Turiniとの出会い。しかし、その先生の前に付いたDr.Bratuzにコテンパンに身体の動きを封じ込められた苦痛の1年(http://mikipiano53.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-608c.html)を経て、ようやくMr.Turiniに付いたとき、単なる音色だけではなく、身体の動きと呼吸が音色を作り上げることを教わった。

 

そして、演奏家はパフォーマーであること。聴いている人は目からも耳からも音楽を聴いている。だから、上品でなければならない。優美でなければならない。労働であってはならない。 

 

今の自分に品格は備わっているだろうか?

聴く人に、優美に見えているだろうか?

身体の小さい私が弾いて、きつそうには見えないだろうか?

 

そんなことを思いながら、ピアノに向かっている。

 

0701_3               

 

 

何の花かなあ・・・

2年目だが、たくさん花を付けた。でも、こんなにも暑いと、ちょっとこの赤は暑苦しい・・・ごめんね。

 

           07122_2





12日台風一過、鎌倉駅

 



                                

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コメント

こんばんは。
>演奏家はパフォーマーであること。。。
実にそう思います。
>今の自分に品格は備わっているだろうか?
 聴く人に、優美に見えているだろうか?
演奏者ゆえの悩みですね。
私は2次元の表現者なので、やはり人の口が大いに気になります。

miki53さんの演奏を生でお聞きしたいです。
 

EOSのパパさん
コメントありがとうございました。

どんなに大変な思いをして練習したとしても、ステージではその苦労は出すな、とロシア人の先生に言われました。
それは、Mr.Turiniにも言われました。体格も手の大きさも小さいので、どうしても弾き方に無理があります。無理な体勢で弾くこともあります。歯を食いしばって弾きたくなることもあります。
でも、それは練習室でのこと。人前では、何事もなかったように楽しみなさい、と。

楽しんで弾く・・・なかなか出来ません・・・。いまだに模索中です(^_^;)

EOSのパパさんの蓮に相当する演奏が出来るよう頑張ります!!

深いですね
様々な経験を積んで、今、人に教え、
そしてなお自分へ問い続ける。
聴く者、教わる者は、きっと何かを感じるだろうと思います。

billさん
コメントありがとうございました。

若い頃は、緊張しすぎて、自分の演奏だけに集中して弾くことが多かったです。
だんだん年を重ねるごとに、なんというか「余裕」みたいなのが出てきて、ますます昔先生方に言われていたことが理解できるようになり、聴衆というものをもっと意識するようになりました。
でも、その方が楽しいんですね。この感じをもっと学生の頃に理解できていれば、もっと演奏する機会を増やしていたかもしれません。
もったいないことをしてしまいました。

生徒たちに伝授出来れば良いのですが

Mikikoさんの、ピアノに取り組む姿勢、素晴らしいですね。

私も見習いたいです。

今私が気を付けていることは、脱力と呼吸です。
それが上手にできるようになると、もう一皮むけそうなのですが。
なにより、大人から始めたので、技術が追いつきません。

でも他人と比べず、昨日の私と比べるようにしています。

ananさん
脱力!!難しい課題ですね。
とにかく指だけで弾かない! これを心がけるだけで少しは脱力できるかと・・・。

でも、脱力・呼吸を追及しているananさんは素晴らしいです。
なかなかそういうことに気が付かずに弾いている方、たくさんいますもの。
そういうことを、もっと先生方も教えてあげたら良いなあと思うのですが。
見ていて、もったいない弾き方をしているな、と思う演奏がいっぱいありますね。

かくいう私も練習しなくては。

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