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2012年8月 9日 (木)

父・・・息子たち・・・

今日は、6日の広島原爆の日に続き、長崎原爆の日でしたね。

67年がたった今でも、後遺症や記憶に悩ませれている方が大勢います。

しかし、戦争を知らない世代はどんどん増えています。

息子たちも、広島の原爆ドームや原爆資料館を見てきました。

しかし・・・戦争とは・・・と説明しても、私自身戦争を体験していないのですから説得力に欠けてしまいます。

 

私の父は1925年生まれです。

中学4年生で士官学校に入り、出征した最後の学年です。

19歳で終戦を迎え、ソ連に連れて行かれました。

その時のことは、ちらほら聞きました。

木の伐採の際に、太ももを複雑骨折し、入院したときのこと。

部下のやったことの責任を取り、独房に入っていたこと。

父よりも若い部下が肺炎になり、彼の体を温めるために抱いて寝たが、朝起きたら、息が無かったこと。

など・・・。帰国した様子もさらりと話してくれました。

その父は15年前に他界しました。

 

 

父は、お墓は要らない。遺灰は海に撒いてくれ、と言っていました。

多分、死を日本で迎えられなかったたくさんの戦友のことを想っていたのではないかと思います。

でも、残された母の方が、なかなか踏ん切りがつかず、結局、今の住職さんに出会い、お墓を作ることとなりました。父の遺灰の一部は海に撒くために手元に残されています。

 

父も、多くは語りませんでした。戦争のこととなると、やはり、言い難い思いがあったからでしょう。それに、私自身も、あの頃は、まだ単なる父の思い出話としてしか聞いていませんでした。

しかし、こうして、二人の息子たちに父の体験話をしていると、もっといろいろ聞いておけばよかったと思います。

たっくさん質問したいことがあります。

そして、悲惨な戦争を生き延び、日本を成長させてきた生きる術を、息子たちに伝授して欲しかった。

 

日本は戦争というものではないけれど、危機に直面しています。

これから、日本を生きなければならない息子たちに、生き延びる術や力はあるのでしょうか?

 

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コメント

私も、もっと父に聞いておきたかったことがあります。

父がさらりと話した内容を、後日、歴史上の○○事件に関連していると
気が付きました。そのとき、すでに父は亡くなっていました。
直接父に確認していれば......と思うのです。
その時は、話を受け止める側(私たち)がまだ未熟?、きちんと受け止める
態勢ではなかった残念さ。

お父様、19歳だったのですね。今から思うと19歳の若者が背負うには重い
体験だったような気がします。戦後はどのような心持で日々を送られてきた
のでしょうか。私もお話を伺いたかったです。

わが家は引き揚げ者で、母は一人で子ども2,4,7,8歳の4人連れて帰国しま
した。父は軍属で捕虜になり、1年後の帰国しました。父が帰国するまで、
父の実家の修善寺から新橋まで炭俵を背負って売りに行き現金を手にし
ていました。

母は男の子の孫が生まれるたびに
「この子たちが戦争にいかなくてすむように.......」と祈っていました。
「もし、行くようになったのなら、なんとしても逃がしてやりたい......」とも。
「そのためにはお金が必要......」と切り詰めていましたね。

息子が成人になった時、父はもう亡くなっていました。
父が、おとうさまが存命だったら、孫息子に何を伝えたいと思ったでしょうね。
聴けるものならば、一緒に聴きたいですね。

そういえば、mikiさんとのご縁もお父様が縁結びのように記憶しています。
もっと、もっとお父様のお話を聴きたいとおもいます。

ロコさん

以前、引き揚げていらしたお話を聞きましたね。
お父様もお母様も、必死に生きてこられたのでしょうね。

我が家の長男、18歳になりました。
どう見ても、部下を率いて戦場に赴いていく逞しさはありません。

死と隣り合わせの生活を生き抜き、ボロボロだった日本が急成長する中を生きていたのですものね。
もう少し息子たちの記憶に残るまで生きていて欲しかったですね。

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